トクフミの映画覚書

東大で自主映画制作と漫才を二足のわらじでやっているブログ主が作品のレビューや活動報告をさせていただきます。

『あゝ、荒野 前編』鑑賞!ネタバレ無し

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Amazonプライム・ビデオにて岸善幸監督の『あゝ、荒野 前編』を鑑賞させていただきました(ネタバレ無しで感想を書かせていただいておりますが、どこまでがネタバレなのかは僕個人の価値観で判断しておりますのでご注意ください)。

なお、フィルマークスで僕史上最高得点をつけました。

filmarks.com

あゝ、荒野 前篇

あゝ、荒野 前篇

 

 

あらすじ

2021年・東京。少年院を出たシンジ(菅田)はかつて自分を裏切った仲間・ユウジへの復讐を試みるも、ボクシングで慣らした彼に打ちのめされ、復讐心を燃やす。日韓のハーフで吃音障害を持つケンジ(ヤン・イクチュン)は、理容師として働いた給料を巻き上げる父親から一人立ちしたいと思っている。彼らはボクシングジムを営む堀口(ユースケ・サンタマリア)に偶然誘われ、衣食住を保証される代わりにボクサーとしての育成を受けることになった。一方、同じく新宿に位置する西北大学の「自殺研究会」のメンバーは、新宿の自殺志願者を集めて同じ場所に住まわせ、やがて「自殺防止フェスティバル」を実行するーー

 

最近菅田将暉にハマっています。俳優目当てで映画を観るというのは、ミーハーなようで案外健全な営みです。「名作だから観なくてはならない」という重圧から解放されて、ただ目当ての俳優の一挙一動に見惚れていれば良い。それは結果的により画面内に集中できることになります。

ここ数年の画面内の菅田将暉にはかつての窪塚洋介が身に纏ったそれにも似た異様な引力を感じる。その引力の中心は、彼の眼であり、身体であり、叫び声である。「演技が抜群に上手い」では説明がつかないのである。

2016,7年で彼は10本以上の映画に出演し、そのほとんどが主役級ですがその演技を観れば無理もないように感じます。本作『あゝ荒野・前編』を観て、このようにベタ褒めしたくなりました。

僕らは昭和に対して「現代よりも人情を大切にする時代」だという想像をしがちである(そうじゃない人もいるでしょうし実際に昭和を生きた人々は今も変わらないというかもしれませんが)。そんな僕らが自然と描く2021年=近未来が炙り出すもの→現代の乾いた対人関係が更に発展した世界。極めてインスタントな繋がり。金のためなら平気で年寄りを騙す。金のためなら見知らぬ男と何度も寝る。そうした営みの日常性を劇中で、そして現実の社会で日本の何処よりもくっきりと浮き彫りにする。それが本作のメインの舞台・新宿。そんな新宿で、ボクシングをキッカケに繋がった男2人の、場違いな友情。そして彼ら自身の、彼らを取り巻く人間に対する深い憤り。それこそが本作の1番の見どころではないでしょうか。

また、劇中では菅田とイクチュンを取り巻くボクシング界隈とは別の物語が並行する。それが新宿・西北大学の「自殺防止フェスティバル」を画策する団体の営み。希薄な対人関係と彼ら自身が抱える問題が生み出した、孤独と繰り返しに耐えられなくなった人々が挙げ句の果てにとる自殺という行為、そしてそれを防ごうとする団体の中心人物が起こす、現代だからこそ起こりうる「とある衝撃」にスポットライトを惜しみなく照らし出す本作。この二つのパラレルストーリーが後編でどのような形で身を結ぶのか。執筆中の現在も非常に気になっています。早く後編を観たい。

そんな見所を彩る優れた演出の数々。

灰色気味に抑えられた色調の回想シーンから菅田が繰り出す暴力。キレ。

吃音で控えめな男を見事に演じたヤン・イクチュンが繰り出すまさかのカウンター・右フック。

菅田の叫び。

菅田のリングの上での野生的なボクシングとボクシングが暴力に変わる瞬間。

大都会新宿・・・

後編観に行ってきます。

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寺山修司氏の原作はこちら